産後の生活について

今更感がすごいのですが、産後8ヶ月経ったので、当時の気持ちを思い出して、産後の生活でも振り返ってみたいと思います。

 

産後1ヶ月目

出産前と比べて14キロ体重が落ちました。普通に1ヶ月でこれだけ体重変動があるってめちゃくちゃ怖くて、これだけで体力を奪われたような気がしました。でも後で見事にリバウンドします。この時にきちんとダイエットしておけば...

産んでから家に帰ってからの1ヶ月間は、ずっと娘と寝る→起きたらオムツ→授乳→搾乳→哺乳瓶を繰り返してました。もうずーっとルーチン作業で、授乳回数も14〜18回と多めだったので、あまり記憶ないです。

産前は、哺乳瓶洗うのめんどくさいから完母でいきてーと思ってましたが、娘がNICUに入っていたことにより、哺乳瓶に慣れてしまって母乳を吸う力が弱かったため、哺乳瓶よりめんどくさい搾乳器を使うという作業が追加され、もう正直2人目があれば、初めから哺乳瓶という選択肢もありだと思いました。というか搾乳器に比べたら哺乳瓶洗うなんてなんてことなかったなと思います。

幸い母乳は捨てるほど出たので、授乳して、5分ずつ搾乳器で左右の乳を絞り、それを哺乳瓶に入れて飲ませてました。本当に洗うのと消毒液から出して乾かして組み立てる、そして絞る作業がめんどくさくて、なにやってんだろ...と思ってました。

入院中、授乳できたのが4回しかなく、一応自分の入院中に人形で授乳の練習をしましたが、そんなものなんのスキルにもならなくて、母乳外来に2回ほど行きました。吸う力が弱いのは、もう練習あるのみだと言われて、乳のことしか頭になかったです。

ちなみにこの同時期、乳腺炎というトラブルに見舞われて、1ヶ月のうちにマッサージを4回ほど受けに行きました。想像を絶する痛みに悶えました。もう2度としたくないです。

吸う力が弱いから母乳出てても吸い切ってくれないので、結局搾乳器使ったり、自分で絞ったり、飲んでくれないのに母乳を生成する過程はできあがっていたので、吸う量は少ないのに母乳量が多くて安定しないという負のループに陥っていました。

乳腺炎に対しての恐怖心がすごくて、四六時中乳腺炎の検索を繰り返す検索魔と化し、食べ物が関係ないことはわかってるけど、食べ物に気をつけてみたり、肩こりが良くないというか、肩周りのリンパの流れを良くした方がいいと聞き、肩回しの運動をしたり、母乳にいいお茶を飲んでみたり、水分補給は大事なのですが、飲み過ぎると逆に母乳を生成してしまうので、1回量の水分補給の量を減らしたり、乳が張ってきたら自分で絞ってみたり、飲むときの体勢も変えて変えて、詰まっている部分を赤ちゃんの下唇が当たるようにして飲ませた方がいいと聞いて実践したりと、ものすごく神経質になってました。

私の場合、白斑とかはできずに徐々に乳が膨らんで詰まっての繰り返しで、毎回「あ、やばいくる」という小さな恐怖から、必死に自分で絞って詰まりを取ろうとするも、徐々に岩でも詰まってるんじゃないかと思うくらいカチコチになって、絶望感がすごかったです。しかも決まってほぼ同じ位置の乳腺が詰まっていたので、どこをどう絞れば、この乳腺の母乳が出てくるところまでわかっていたのにそれでも詰まって、辛かったです。

そして、産んだ季節が夏で、秋に差し掛かるころだったので、割と台風が来たりすることが多かったのですが、決まって天気が崩れる時に気圧の変化なのか詰まることが多かったので、天気予報や気圧の変化にも神経質になってました。

そんな努力のおかげなのか、時期的な問題なのかわかりませんが、1ヶ月をすぎてしばらくした頃にパタンと詰まるのが止みました。

たぶんですが、時期的な問題が本当に大きかったと思います。それまで何をやっても詰まっていたのにある日から急に詰まる感じもなくなって、そこからは何を食べても詰まることはありませんでした。

そして搾乳器は役割を終え、吸う力の弱かった娘も、鬼の授乳回数を乗り切ったことで、普通に飲めるようになっていました。

こんなに辛いなら母乳をやめめミルクを使いたいと思っていたのですが、こんなに母乳が余っている中、結局冷凍して使わなかった母乳も大量にあったので、ここでミルクを導入することはできないし、というか1回でも授乳をミルクに変えると、乳が爆発してしまうので、この時はミルクを使えず、そしてそれが後々問題になるということをわかってませんでした。

 

産後2ヶ月目

母乳トラブルも解決して、娘の世話にもだいぶ慣れてきたので、余裕が生まれました。相変わらず授乳回数は、12〜14回と多めでしたが、気持ち的にはだいぶ楽になって、家事もできるようになってました。

この頃まで寝かしつけは、抱っこでしていたのですが、ネントレの本を買って読んで、自分なりに楽な寝かしつけ方法を考えようと思い、寝かしつけ方を変えたり、ベビーカーで外気浴も始めたので、自分の中で生活にメリハリができてきた感じがしました。

娘もぼや〜としていた新生児期が終わり、顔もだいぶしっかりしてきて、よく笑うようになったのが楽しくて仕方ありませんでした。この頃、初めて自分でおもちゃのガラガラを持って投げたり、ゲップさせようと肩に頭を乗せると、自分で頭を持ち上げようとしたりと、成長が感じられて、嬉しかったです。

そしてやっと悪露が終わり、お風呂に浸かれたことが本当に幸せすぎました。旦那がお風呂に入れるときは、娘と一緒に浸かれたのですが、わたしが入れる場合は、沐浴してから自分のシャワーの時間で、お風呂だけでどっと疲れてました。

 

産後3ヶ月目

この頃になると、だいぶ安定した感じはあって、それでも授乳回数は、9〜14回と多めでした。やっと一桁になったことに感動して、夜は2〜3時間寝て、リズムができてきた感じでした。日中動けることも増えてきたので、娘と昼寝はせずに本格的に家事をして、涼しくなってきたので外気浴もほぼ毎日行ってました。

そして、産後の一大イベントといっても過言ではない100日祝いのお食い初めがあったので、義両親を呼んでスタジオアリスで写真を撮りました。ちょうどその頃、寝返りができるようになってきて、たどたどしい寝返りでしたが、ごろんっと転がる様子も見せることができて良かったです。ちなみにお宮参りもこの時期に行きました。近くに観光地にもなっている正月に駅の近くまで参拝者が並ぶような大きい神社があるのですが、そこへ散歩を兼ねて歩いて行ってきました。祈祷前に娘が盛大に大の方をしたのがいい思い出となっております。

寝返り返りもして、少しずつ動けるのが楽しいのか始終ご機嫌な娘を見るのはとても楽しく、まだまだコロナもあって外出は必要最低限でしたが、家の中でゴロゴロして過ごしていました。

義両親が来る前に髪の毛のボサボサ具合がやばいので、美容院に行ったのですが、思いの外時間がかかり、3時間を少しすぎてしまったのですが、娘は旦那に抱かれながら大号泣してました。まだゆっくり美容院ですごせるのは先の話だなあと思いました。

そして産後1ヶ月で減った体重が、物の見事に戻りました。完母は痩せると聞いていましたが、人によるのだとほんとにしみじみ思いました。

 

産後4ヶ月目

寝返りから1ヶ月した頃、いつのまにか方向転換ができるようになっており、いつの間にか違う方向を向いていることが増えました。うつ伏せが好きなようで、日中起きてる間は、ずっとうつ伏せで過ごしており、機嫌よくニコニコしていることが多かったです。

イベントが過ぎ去ったので、かくいう私は抜け殻のようになっていて、日中の外気浴はめんどくさいという気持ちから3日に1回ほどになってました。

そして、産後2ヶ月ごろから薄々気づいていたというか、気づかないふりをしていたのですが、哺乳瓶が飲めなくなっていて、焦って哺乳瓶を与えてみるもギャン泣きで困っていました。

4月から保育園に入れるつもりだったので、哺乳瓶飲まなきゃめっちゃ困る!と思って、哺乳瓶の練習を開始。しかし上手くいかず、口にも入れてくれない日々が続きました。

そして、あんまり抱っこしていないにも関わらず、まさかの左手首が腱鞘炎になり、痛みに悶えてました。いまだに寝返りとか打つときに股関節がパキッて鳴るなあとか悠長なこと考えてたら、まさかの腱鞘炎に泣きました。

妊娠線も消えないし、帝王切開の後はケロイドになって、若干痒いし、踏んだり蹴ったりでした。しかも傷跡って、雨の日とか気圧が低い日にズキズキするんですよね。もう傷は塞がってるのに不思議だなあと思いながら、痛いのは嫌なので、天気の悪い日はテンションが下がります。

 

産後5ヶ月目

離乳食スタートしました。最初はおかゆから、野菜を足して、魚も食べさせてと、段階を踏んでだいぶゆっくりめに食べさせてました。最初は嫌で、口から吐き出すことも多かったですが、徐々に慣れていき、おかゆは好きみたいです。

ミルクに慣れてもらおうと思い、離乳食に入れて食べさせると味に少しずつ慣れてくれました。おかゆに入れてミルク粥風にしたり、バナナに入れてみたりと、普通じゃ飲めないので、とりあえず味に慣れてもらおうと思ったのですが、これが案外良かったてます。同時にコップ飲みを練習し始めたのですが、それも良かったのか、ミルクの味にも慣れ、コップ飲みにも慣れ、ゆくゆくはミルクをコップから飲めるようになりました。結果的に哺乳瓶では飲めていません。

 

産後6ヶ月目

この時期初めて熱発しました。おそらく原因は便秘かなと思っているのですが、原因は不明です。なんか身体熱いなあと思って、熱を測ると38度台で、しかも週末の夕方でどうしようかと思いました。

熱がある以外は、機嫌も普通で、ぐったりとしているわけでもなく、母乳も飲めていたので、どうしようかなと思いながら、一応小児救急ダイヤルに電話しました。案の定、朝まで様子を見てくださいとのことで、朝まで様子を見ましたが、熱は上がってきて、39度代になるし、ぐったりというより疲れて寝ている感じでしたが、心配だったので、救急外来を受診しました。

尿検査を取るために採尿パックをつけて、病院に3時間ほどいたのですが、結局出ず、家に帰ってからパックに尿が溜まっていました。解熱剤と抗生剤を処方され、一応抗生剤は飲ませたものの、1日分しか処方がなく、絶対意味ないよなと思ってました。

尿は、目視では綺麗で、混濁も見られず、若干この時に初めての便秘というか、毎日出ていた便が出ていなかったので、このせいじゃないのかと思いながら、次の日が週明けだったので、かかりつけ医に行きました。

その時にはもう熱は下がっていたのですが、咽頭ぬぐいの検査をしてもらい、それも陰性。採尿パックもかかりつけに行く際に付けていったので、それも見てもらいましたが、やっぱり陰性でした。

熱が続いたせいか、割と機嫌が悪くなっていて、いつも診察時泣かないのに泣いたり、夜泣きもあったりして、本当に心配しました。

一旦解熱したし、様子を見ることにしましたが、その2日後にまた熱発。まさかのかかりつけ医が休診の日だったので、また救急外来に行きましたが、原因はわからず。前の解熱剤が残っていたので、ぐったりしていたら解熱剤を使うということで、帰宅しました。

結局母乳も飲めないくらいにぐったりすることはなかったので、解熱剤は使用せず、最終的にやっぱり便秘じゃないの?と思ったので、次の日にかかりつけ医に受診して、浣腸してもらって、大量の便が出て、次の日には解熱しました。

ここから、便秘との攻防戦が始まりました。

たぶんおそらく離乳食のせいだと思うのですが、そこから便が出なくなり、腹部マッサージ、綿棒浣腸、離乳食の時にさつまいもやバナナを食べさせてみたり、オリゴ糖を入れてみたりと、四苦八苦してました。だけど、自力での排便が困難で、結局綿棒浣腸、そして3日で出なければかかりつけ医に行って浣腸をしてもらっていました。

母乳のみの頃は、毎日快便で、しかもガスの圧がすごくて、おしりを拭いた刺激で何度も布団や服を便まみれにされていたのに、まさかの便秘になってびっくりしました。

もしかしたら母乳が足りていないのかもしれないと思い、水分量を増やすためにミルクや麦茶を多めに飲ませてみるものの、出てくる便は柔らかく、排尿回数も変わらず出ていたので、正直困ってました。

そして、ちょうど保育園も決まりました。0歳枠なので、倍率はすごいけど、共働きだし、どこかには入れるだろうと思ってましたが、なんとか第4希望のところに入ることができました。コロナの影響か、前年度よりは応募者数が少なく、倍率15倍くらいだったのですが、あ〜一安心と思うも束の間、哺乳瓶拒否という問題が残っていたので、哺乳瓶トライを試みるも、やっぱり飲めません。努力の甲斐あってか、哺乳瓶の乳首を口に入れるところまでは拒否なくできるようになりましたが、肝心の吸うことができないというジレンマ...

 

産後7ヶ月目

ここでやっと保育園にも入るという余裕が出てきて、産後初のマッサージに行ったり、ボサボサプリンの髪の毛をなんとかしに美容院に行ったりと自分のことに時間を使えるようになってきました。

復職があるので、生活リズムを整えようと、娘と一緒に寝るようになったのですが、20時に寝ようと思っても寝れず、結局0時に寝て7時に起きるという生活になっていました。昼寝はせずなので、このままじゃ健康に悪いと思いつつも、そんな生活が続き、勝手に自分で自爆して睡魔不足という。幸い娘は、規則正しく生活できているのが不幸中の幸いで、慢性的な睡眠不足に悩まされていました。

相変わらず便秘が続き、ラキソベロンを処方されたものの出ず、整腸剤で出ることがあるからとミヤBMを処方されて飲ませてみるも出ず、もう諦めかけていました。

保育園に行ったら出るかもしれないとかかりつけからは言われ、保育園にはかかりつけに相談して便秘を何とかするように言われ、板挟み状態でした。

綿棒浣腸も動くし、ずり這いも始まったので、危ないし、浣腸しにかかりつけに駆け込むことが多く、とりあえず1週間でなければ様子を見ようということになりました。

娘はすくすくと成長して、ずり這いを覚え、お気に入りのおもちゃができ始め、好きなところへ好きなように移動するようになってきました。

 

産後8ヶ月目

保育園入園しました。それに伴い、慣らし保育がスタートして、ようやく日中で1人の時間が持てて、この間に美容院行って髪の毛染めて、縮毛矯正して、ヘッドスパして、産後マッサージ行って骨盤矯正して、もみほぐしにいって全身マッサージして、まつげパーマ行って、自分の服を買いにショッピングしたりと、めちゃくちゃ1人の時間を堪能してました。

ふとした拍子に、なんかもう一緒にいれる時間ってすごく少なくなっちゃうんだなと思って憂鬱になったり、小さい時期は今しかないのにもったいないことしてるのかもしれないと思ったりもしましたが、だいぶリフレッシュを味わってしまい、嬉しさ半分寂しさ半分といった感じでした。

本当に家にいると、朝起きて離乳食食べさせて、午前睡して、外散歩行ったり買い出し行ったりして、帰ってきたら今度は午後睡して、起きたら離乳食食べさせて、お風呂入れて、寝かしつけっていう工場もびっくりのルーチン作業の繰り返しで、職場のような人間関係のストレスだったり、突然のトラブル到来はないものの、毎日同じことの繰り返しって飽きるし、刺激がないので、頭ボケボケになっちゃって、逆にどうにももどかしいストレスが蓄積していくのがわかるんで、それが嫌でした。

やっと外の世界と繋がりができたようで、慣らし保育中は特にトラブルもなかったので、大いにストレスを発散できたと思います。

 

 

今振り返ってみると、産後1ヶ月目くらいは、乳腺炎で悩んで悩んで病みそうになってて、産後3ヶ月目くらいからは、生活スタイルには慣れたけど、娘とずっと一緒にいるという状態が嫌じゃないけど、息が詰まってきたような気持ちになっていました。

他にも離乳食を食べなくて発狂されたり、吐き出されたり、夜中なかなか寝付かなくてイライラしたりすることもあって、赤ちゃん相手に自分は何をイライラしているんだろうと思ったりもしました。

いまだに時々帝王切開した傷跡は痛むし、産後の寝たきり生活で、体力はミジンコ以下だし、骨はガタガタのパキパキで、腱鞘炎になるし、踏んだり蹴ったりだなと思ったこともありました。

でも、一時期はNICUに入っていた娘が、ちゃんと成長してくれて、息をしてくれているっていうことだけでも、幸せだなと日々痛感します。

長くなりましたが、産後の生活は、トータルで見るとなかなかゆっくりできていたんじゃないかなと思います。1ヶ月は寝たきりだったし、2ヶ月目までは、ほんとにダラダラさせてもらってたので、その後が楽だったように思います。

これから復職して、こんなゆっくりとした時間に戻りたいという日がくると思うのですが、こんな時期もあったなあ、幸せな時間を過ごせたなあと思いながら、これからの生活を頑張っていきたいと思います。

産後のはなし③ NICUでの時間

退院初日からNICUに行ったわけですが、まず面会制限があって、受付で面会許可をもらってる人しか病棟に入らないようになっていました。

わたしの入院中は、旦那が毎日面会してくれていたんですが、夫婦同時には入室できません。

それもあれもこれもコロナのせいなんですけど、なので旦那はお留守番してもらい、わたし1人で行ってきました。

 

病棟に入る前に携帯電話などもろもろの荷物は、全部ロッカーに入れて、手洗い&手指消毒してから入室しました。

わたしの場合は、搾乳したパックを保冷袋に入れて持ってきていたので、それを渡すのと、あと写真を撮る用に一眼レフを持っていってました。

 

動画撮影は、プライバシー保護のためできないそうで、可能なのは写真のみで、携帯電話の持ち込みも禁止でした。なので、旦那が面会していた時もずっと一眼レフを持っていって撮影してました。

動画がダメなので、最初旦那はGoProを持って行ってたんですけど、それもダメみたいでした。

 

入って思ったのは、たぶん搬送初日はNICUにいたと思うんですけど、重症度的に問題ないからか、いつからかわかりませんが、GCUに移動になってたっぽいです。

まあ酸素投与もしてないし、パルスモニターで酸素濃度を測定してるから、時々酸素低下があるくらいだったので、ほんとに近々退院かなという感じでした。

 

わたしが退院した日は、祝日だったので、主治医の先生がおらず、一応その次の日に朝一番に様子を見て、退院できそうならその日に退院という予定でした。

 

面会は、11時から16時まで、18時から20時までの2回チャンスがあったのですが、流石に1日中ずっと外に出っ放しはわたしが辛かったので、11時から16時の面会で、授乳、哺乳瓶でミルク、沐浴、オムツ交換、綿棒浣腸などできることはやらせてもらいました。

 

産んで1週間離れてたので、ずっと抱っこしてました。その間、寝たり、泣いたり、起きてもぞもぞしたりと動いてるだけで感動。というか小さくて、ふにゃふにゃしすぎで、可愛すぎました。

思えば、親戚の中では、わたしが1番上で、赤ちゃんに触れる機会はあったものの、文字通り新生児の抱っこは自分も子どもだったので、あまりする機会がなく、新生児と触れ合う最後の記憶は、産婦人科実習でした。

新生児ってこんなに小さいんだーという感動と、この子がちょっと前までお腹の中にいて、10月10日かけてゆっくりと成長してたんだなあという気持ちがじわじわ溢れ出てきて、なんとも言えない幸せな時間でした。

 

とにかく授乳練習を!という感じで、主にそれをメインに通ってたんですが、結局わたしが退院して2日で娘も退院という形になったので、結局計4回の授乳しかできませんでした。

 

母乳はそこそこ出るものの、まだ新生児で吸う力も弱く、自分で一生懸命吸っているものの、たぶん飲めてない状況だったので、結局持ってきた冷凍母乳を哺乳瓶に入れて飲ませてました。

 

2日間しかなかったけど、別れ際が辛くて、抱っこから離れるとえんえん泣くので、可愛いけど、とても心苦しい日を送ってました。

 

2日目にようやく主治医と話せることができましたが、無呼吸の原因は、検査結果からも何も問題がなかったので、おそらく出産時のストレスが原因なのではないかということでした。

時々、生まれて間もないと、呼吸機能もまだ未熟なので、呼吸を忘れてしまったりする子が、ほんと時々いるみたいです。

退院も、たぶんゴネれば伸ばすことはできるけど、主治医いわく、やっぱり無呼吸発作でのネックになるのが退院で、どの親御さんもタイミングが掴めなくてなかなか難しい問題であると話されました。

ただ、SpO2は下がることはあっても、それが継続して、心拍まで下がるということは、NICUに来てからは一度もなく、自力で呼吸も回復しており、そもそも無呼吸発作の定義が20秒以上の無呼吸が継続している状態なのですが、入院中20秒以上の無呼吸は見られておらず、退院は不安ではあるものの、入院して何か治療するわけではないので、退院という形になりました。

 

こうしてこの記事を書いている今、娘はもうすぐで6ヶ月を迎えるのですが、退院初期は、時々無呼吸が見られたものの、今は元気に過ごしてます。

思い返せば、短い出産の時間でしたが、当時は一体いつ退院になるのか、また退院してもうまくやっていけるのか不安でした。

正直今も全く一抹の不安はないという状態ではなく、夜中にふと起きて、何度も呼吸を確認したり、寝息を立てて寝ている音を聞いて心底安心したり、咳をすると不安になって検索魔になったりしてますが、母子共に健康な状態です。

できれば何事もなく育児したいなーと思いますが、また違うことも問題として出てくると思うので、今はのんびり産休を満喫したいと思います。

 

長くなりましたが、これにて出産、産後のお話は以上です。

次からは、商品レビューや成長のこととかを書いていけたら良いなーと思います。

 

産後のはなし② 退院までの道のり

〜入院7日目(産後2日目)〜

夜間は、3時間おきに出てるのか出てないのかもはやわからないレベルの量しか出てない初乳を1ccシリンジでかき集められてました。

手絞りで、助産師さんにやってもらうんですけど、これがまた激痛で、自分でやるときはそうでもないんですけど、人にやってもらうとめちゃくちゃ痛かったです。

しかも、なんか分かってやってるというよりも、とりあえず絞って、ギュウギュウと乳輪付近押せばいいでしょ的な感じなのが辛かったです。

 

そして日勤から、手絞りから自動搾乳器へ移行していきました。

わたしが使用したのは、メデラのシンフォニーという自動搾乳器で、赤ちゃんの授乳のリズムに近い搾乳をすることで、母乳を出す為に刺激してくれるものでした。

両乳にあてて搾乳するも、1〜2ccくらいしか絞れず、初乳なのでこんなもんなのかなと思いつつ、少ないなあと思ってました。

しかし、21時の搾乳で、量が増えて5cc以上取れるようになっていき、10ccのシリンジに入れてもらうようになってからは、割といい感じに量が増えていて安心しました。

助産師さん的にも文句なしの量の増え方で、入院中は最後まで特に母乳に関してダメ出しされることはなく過ごしました。

 

そしてその時点で後陣痛は、もうほとんどなくて、創部痛がほんと酷かったです。まだ自分で起き上がることはできず、ギャッチアップしてなんとか身体を起こして立ち上がれるレベルでした。

でも、電話のできるスペースまでスタスタ歩くことはできました。

動く瞬間が1番ピークで痛いので、起き上がる時も歩く時も、動作開始する時が辛かったし、根性入れないと何もできない感じでした。

一応痛み止めは、ロキソニンを出してもらってたので、1日2錠ほど予防的に内服してました。

子宮底の確認も手慣れたもので、助産師さんに下腹部をぐさっと押されるも、そこまでの痛みはなく、順調そうな感じで安心しました。

 

赤ちゃんの方は、NICUで一晩過ごしましたが、無呼吸発作の出現はなかったそうで、保育器から出てコットに移動し、酸素もオフになったと連絡を受けて、こちらも一安心でした。

先生の話だと、やっぱりお産の時のストレスで、一過性の無呼吸発作に繋がってしまったのではないかということですが、いかんせんまだ一晩しか経ってないので、しばらくは様子を見ていくとのことでした。

 

〜入院8日目(産褥3日目)〜

シャワー浴のオッケーが出たので、朝一番にシャワー!!!オペ後からシャワーできてなかったので、自分から野生の香りが漂ってて、ほんと嫌だったんですけど、久しぶりのシャワーは、素晴らしかった...

今まで生きてた中で、1番気持ちよかったお風呂って、富士山に登った後に入った温泉だったんですけど、それを上回るほどのスッキリ具合でした。

創部が染みないかドキドキだったんですけど、全然大丈夫でした。ちゃんとガチガチにくっついてたし、血も出てないし、シャワーも恐る恐る当ててみたんですけど、痛くも痒くもなかったです。

というか傷口は、ガーゼのみに覆われてる超絶無防備な状態で、シャワーの時にオプサイトとかで保護してくれないんだ...と思いました。

 

搾乳は、順調に進んで、シンフォニーのモードで、INITIATE(開始)プログラムから、MAINTAIN(維持)プログラムへ移行していきました。

搾乳のリズムが割と一定になって、搾乳量も増えてきたので、10ccシリンジから、ピジョンのブリーザーパック40ccのものになりました。

この時点で、両乳で20ccほど取れていて、搾乳した分は、旦那に取りに来てもらって、NICUにいる赤ちゃんの元へ届けてもらっていました。

 

赤ちゃんの状態は、変わらずで、無呼吸はあるものの、10秒ほどで自力回復していて、無呼吸発作と呼べるようなものは出現せず。

酸素も昨日オフされたままで、ルームエアで様子見されており、経過としては良好なので、引き続き様子を見たいとのことでした。

 

〜入院9日目(産褥4日目)〜

特に代わり映えのない1日を過ごして終了。

 

〜入院10日目(産褥5日目)〜

日勤入ってすぐに先生がやってきて、抜鉤してもらいました。初めての感覚で、あんまり痛くないかなあと勝手に思ってたんですけど、一個一個引き抜くときは、やっぱりチクチクと痛かったです。

 

あと入院してずっと大部屋でしたが、わたし以外の患者さんがめでたく全員退院して行ったので、この日から大部屋使いたい放題になりました。

もう遠慮なく部屋で電話しましたよね、もう人と喋らなさすぎてやばかったんでね、ずっと電話してました。ほんとはダメだけど、もはや個室状態だったので、やりたい放題してました。

 

そしてこの日の担当助産師さんから、退院を早めないかと提案してもらい、本来は産褥8日目で退院となるところを1日早めての退院という方向になりました。

 

〜入院11日目(産褥6日目)〜

明日ようやく退院かと、ソワソワしてました。ようやく解放される〜という気持ちと、退院したらもう三食おやつ付きの生活に戻れないというジレンマと戦ってました。

 

〜入院12日目(産褥7日目)〜

ようやく退院日となり、日勤初っ端に先生に内診してもらい、子宮の状態は特に問題ないということで、無事退院許可がおりました。

一つ愚痴を言わせてもらうと、入院中は産褥ショーツでと言われてたので、途中旦那に産褥ショーツを買ってもらってまで履いてたのに、まさかの退院日まで1度も内診がなかったことにびっくりしました。

出産時は、特に出血が多かったわけではないのに血液検査でも貧血が続いていて、Hbが9コンマ台だったので、フェロミアを処方されて内服してたのにも関わらず、たぶん帝王切開だったからなのか、できれば勿論内診なんかしたくないんですけど、内診の少なさにビビってました。

 

ようやく家に帰ることができましたが、わたしにはゆっくりしている暇などなく、すぐに昼ごはんを食べて、タクシーで赤ちゃんのいる病院へ行くというハードスケジュールな退院初日でした。

久しぶりの外は、それはそれは暑くて、実は入院する時は、梅雨だったんですけど、退院したときは梅雨が明けて、ザ常夏といった気温で、すでにバテそうになってました。

 

そんな中、初めてのNICUへ突撃。

 

次回から、NICUへ面会に行った時のことを書いていきます。

産後のはなし① 無呼吸発作からの徐脈

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〜入院6日目(産後1日目)〜

夜は、寝れたのか慣れてないのかわからないまま痛みに耐え、自分でたぶん2〜3時間おきくらいにこまめに体位交換して、なんとか乗り切りました。

 

ここで愚痴というか、勘弁してくれよと思ったのは、オペ着のまんまだったんですけど、オペ着って着脱しやすいように体の横の部分が外れるようになっているんですね。そこがマジックテープだったんですけど、そのおかけで夜中体位交換しまくったおかげで、マジックテープは外れまくるし、オペ着もこれどうなってるの?ってくらいわけわかんないことになってて、ほぼ裸状態で寝てました。

暑がりなので、タオルケットかけてたんですけど、そんな半裸状態だったので、夜中は逆に寒くて震えてました。

お産があったみたいで、ほんと点滴更新時以外は、部屋周りにこないなと思って、かけ布団かけてほしすぎてやばかったです。1人で凍えてました。そしてフットポンプが外れてナースコールしても忙しすぎて何回か無視されるという悲しさ...

 

なんやかんやで無事朝を迎えて、朝ごはんはなしですが、飲水開始。

なぜか飲水するときに助産師さんに席外されたんですけど、普通は飲水チェックするのでは?と思いつつ、まあもういいやと投げやりで、臥床したまま、すこしギャッチアップして麦茶をペットボトルから飲みました。

そして一口目で盛大にムセる。

ムセて咳すると創部に激痛が走って、ほんと色んなところからの総攻撃で涙目になった。

水分補給には麦茶かなと思って、飲水開始一発目は、麦茶にしたんですけど、長らく飲まず食わずの口に麦茶は苦すぎました。

途中からグリーンダカラにしてもらって、甘くてすんごく美味しかったです。

 

ようやくタオルで身体を拭いてもらって、尿道バルーンも抜去してもらって、オペ着からいつもの寝衣に着替えさせてもらいました。あれだけ苦労して入れられた点滴も抜針されました。

ギャッチアップもできるようになって感動。

創部は、ほんと確かに痛いんですけど、寝てるとほんとに背中が痛くてたまりませんでした。ずっと臥床状態がこんなにキツいものだとは思いもしなかったです。

子宮底の位置も指をぐさっと下腹部に押さえつけられて診てもらったんですけど、いい感じに子宮復古してましたね。ていうか昨日からの子宮の大きさを考えると、ほんと人間の体ってすごい。

 

そして、ときどき赤ちゃんを連れてきてもらって授乳開始。コットに入ってる小さい赤ちゃん可愛すぎました。

でもわたしの可動域がせますぎて、なんとかギャッチアップして上体起こして、なんちゃって授乳をするのがやっとでした。

でも近くで見る自分の赤ちゃんが可愛すぎて、もうほんとずっと見てられる。目の中に入れても痛くないとは、このことだわと思いました。

 

まだ母乳は、初乳の段階で、両乳で合わせて1cc出ればいい方みたいな、これ母乳出てますかー?っていうレベルの量で、大丈夫なのかと思いつつ、助産師のレクチャーを受けながら、なんとなく授乳させてました。

もはやIgA獲得できればなんでもいいので、とりあえず少しでもいいから母乳を吸わせるのと、吸う動作の訓練みたいな感じと、あと子宮復古を促すために今は授乳の練習みたいなものかなと思いながらやってました。

 

そしていよいよお昼前に初回歩行。

トイレ行きたくなったらナースコールしてとのことだったので、ナースコール押してトイレまで歩きました。

この時起き上がりをゆっくりやるんではなくて、ゆっくりやったら痛い時間が長いからと思って勢いよく起き上がったら、助産師さんにびっくりされました。

ゆっくり起き上がっていいんですよ…と若干引き気味に言われたんですけど、ゆっくりって地味にダメージ時間が長いのが辛いんですよね。

そして、トイレにて排尿あったんですけど、なんか膀胱がツーンって痛い...しかもめちゃくちゃ出しにくい...しかも創部が痛い。なんだこの三重苦は...

座ると腹圧かかって、さらに中の子宮も痛い。トイレに行くだけなのになんだこの四重苦。

でもトイレに行けた達成感と、オムツ並みに厳重に巻かれた産褥ナプキンを取れた開放感がすごかったです。

 

やっと普通の人になれた感。トイレから戻ると、助産師さんにあんまり無理な動かないようにと心配されるんですけど、もはや無理に動かないと動かなくなる気がして、痛くて動けない状態を選ぶより、痛くても動きたい気持ちの方が強かったです。

 

お昼ご飯も絶食からいきなりの常食で開始。カツ丼で、若干空っぽの胃には重かったんですけど、完食しました。

ご飯を食べ終わったあとは、ギャッチアップして座ったまま寝てました。なんでかというと、冒頭には書いてなかったんですけど、昨日オペ後からずーーーーっと臥床してたせいで、顔はパンパンに浮腫んでるし、朝一の血圧は最高記録の150台を叩き出すしで、まああれだけ寝転んでたらね、そうなるよねって感じで、血圧を下げるためにも顔の浮腫を取るためにも上体起こしてやろうと思って、そのまま休んでました。

 

14時ごろになって、助産師さんが来て起こされる。そろそろ赤ちゃん授乳タイムかなあと最初思ったんですけど、先生から話があるのでナースステーションに来るように言われて、この時点で嫌な予感というか、いい話をされないことはわかりました。

大部屋で話せないことだから呼ばれたんだなと思い、術後初日のボロボロの身体で起き上がり、歩いてナースステーションまで行きました。

 

ナースステーションに行くと並べられたコットの中にわたしの赤ちゃんはいなくて、代わりに保育器の中に入っていて、モニターがつけられてました。

先生からの話では、昨日産まれてすぐはクベースの中に入っていたけど、特に問題もなかったので、他の赤ちゃんと同じようにコットで夜も過ごしてたそうです。

そして病院では、一応生まれて24時間はモニターをつけて状態観察をするそうなんですけど、今朝から無呼吸発作が出てきたとのことでした。

普通、37週待たずして生まれてきた未熟児などによく見られる無呼吸発作ですが、今回は予定日を少しすぎた日に生まれた子で、原因がわからないため、近くのNICUへ搬送して経過を見たほうがいいと言われました。

 

モニターをつけた赤ちゃんは、HR:90台で、SpO2:80台後半〜100%をうろうろしているような状態で、確かに見てると時々無呼吸があって、呼吸状態が安定していない印象を受けました。

おそらく徐脈の原因は、無呼吸発作によって酸素低下が起こったことによるものですが、それでも通常の新生児の脈拍は、120〜160台なので明らかに低い数値に恐怖を感じました。

保育器に入った赤ちゃんは、小さい身体を膨らませて時々息を吸い、寝息を立てるとしばらくして無呼吸が始まり、SpO2が低下していくの繰り返しで、助産師さんがモニターアラームが鳴ると足裏を刺激して起こして、再びSpO2が上昇するの繰り返しでした。

 

仕事中の旦那に連絡して、状態を報告して、すぐNICUのある病院に行くようお願いしたのですが、その時に保育器に入っている自分の赤ちゃんを見ると、不安で涙が出てきました。

そもそも羊水過少があった時点で、苦しかったのかもしれない。出産した日の心拍低下は、その苦しいサインで、その影響が今のこの不安定な呼吸状態に繋がっているのかもしれないと思うと、赤ちゃんに対して申し訳ない気持ち、これからどうなるのかという不安な気持ち、もしも最悪の場合のことを考えてしまうと、涙が止まらなくなってしまいました。

 

説明後、先生がすぐに移送先の病院へ連絡して、10分後くらいに救急車が到着し、保育器に入れられたまま、赤ちゃんはNICUへ転院になってしまいました。

この時も涙が止まらなくて、状態がわからない分、ネガティブなことしか考えられなくなってました。

出産は、何が起こるか本当にわからない。今回は総合病院なら安心だし、近くにNICUのある病院があったので、何かあればすぐ移送できるだろうと思ってはいたのですが、こうやって離れ離れになると、もともとNICUのある病院で出産していればと、ものすごく後悔しました。

先生から説明を受けて、NICUのある設備の整った病院じゃないと、新生児の検査や採血することすら出来ないそうで、ましてや治療することも出来ないことを今回初めて知りました。

 

NICUに移送されてからは、旦那がすべて手続きをしてくれました。

NICUの先生の話では、採血上は問題なく、感染症も検査したけど、罹患していないとのこと。レントゲン上も問題なし。心エコーもしたけど、特に先天性心疾患などもなかったそうです。そして、これも初めて知ったんですけど、脳のエコーって大泉門から見るらしいんですけど、脳も出血などはなく、現状身体には問題ないとのことでした。

一応念のため、保育器に入れて酸素カニューレを当ててる状態で様子を見ることになりました。

 

移送されてからは、赤ちゃんの様子が当然ながら見れないので、気が気じゃなかったのですが、旦那が逐一報告してくれたので、安心しました。

でも、内心は、基礎疾患がないのにどうして無呼吸発作が出現してしまったのか、NICUで無呼吸発作が出て最悪の事態になってしまったらどうしようと、そればっかり考えてました。

一度泣くと、そこからまた涙が出てきてしまって、泣き止むのに時間がかかりました。しかも泣くと鼻水が出るので、その鼻水をかむ時に腹圧がかかって創部に激痛が走りました。

後陣痛も痛かったけど、動くと帝王切開の創部が明らかに痛くて堪りませんでした。それでも歩いて赤ちゃんをエレベーターホールまで見送ったのは、本当に根性だけで動いていたのだと思います。

 

夕方になって、落ち着くと助産師さんが来て、手絞りで搾乳してもらいました。一応初乳は出ていたので、それをシリンジで吸ってもらいました。

両方の乳で1ccシリンジの半分までいかないぐらいしかなかったんですけど、助産師さん的には出てるだけで十分って感じで、わたし的には、こんなに少ないもんなの!?っていう驚きの方が大きかったです。

 

そして夜、まさかの熱発。といっても、37.8℃とかで、氷枕をもらいに行った時に熱があることを言うと、まさかのコロナ疑いにされかけるという。まあこの時期ならではの疑いなんですけど、それより創部感染とか産褥熱を疑って欲しかったし、まあ時期が悪かったんだ

しかも個室にされそうになったので、断固拒否。創部痛もあったので、頓用のロキソニン内服して、夜間もなんだかんだで3時間おきに助産師さんが来て、手絞りで搾乳されてました。

そして翌朝解熱してました。術後初日から色々あって疲れたのかもなっていう結果に行き着きました。

出産のはなし④ 心拍低下からの帝王切開

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〜入院5日目〜

案の定、夜の0時から始まる前駆陣痛。もう本陣痛くるくる詐欺だと思ってるので、自分の中で諦めモードになってました。

今まで夜こうやって前駆陣痛がきてたら、NSTしてくれれてたんですけど、その日に限っては、なぜか付けてくれず。

まあ付けたところで、本陣痛は来ないんだけど、痛くて寝れないのに寝た方がいいよと言われる地獄。

寝れるんだったらね、わたしも寝てるよね。そう思いながら、やっぱり明け方には前駆陣痛も収まって、あーいよいよ促進剤かー嫌だなーと思いながら寝ました。

 

7時に起こされて、NSTしている間に母に促進剤が再トライになることをLINEで母に連絡してました。

その時、モニターの胎児心拍が、ものすごくひろいにくく、ひろえてもHR:70〜90回/分で、助産師さんの空気が変わったのがわかりました。

すぐにリザーバーマスク10Lで投与開始され、前回促進剤投与のためにルートキープされていたルートから補液も全開で投与開始されました。左側臥位になるよう指示されたので、横を向いて、ひたすら深呼吸してました。

直前にトイレに行って、その時胎動が確かにあったので、まさか心拍が下がってるとは思わず、少々パニックでした。

しばらくして、心拍は戻ったけど、HR:110〜120回/分と、いつもより遅い。でもとりあえず一安心で、だけど念のためモニターはずっと続けることになりました。

 

日勤になって、先生の診察と今日の促進剤についてどうするかの話がありましたが、正直こんな心拍が下がった状態で、しかも羊水もほとんどないのに、これ以上赤ちゃんに負担なんてかけられないと思い、帝王切開してほしいと希望しました。

ほんとは、経膣分娩がしたかったので、悔しい気持ちはありました。今回はコロナで無理だったけど、2人目とかは、上の子も連れて立会出産ができたらいいなと思ってたので、少し残念な気持ちもありました。

でも、そんなこと言ってられる状況ではなく、正直この時初めて焦って、早く帝王切開して欲しいと思いました。

先生もこちらの意図を汲み取ってくれて、午後から帝王切開する予定になりました。

 

旦那はきっと寝てるだろうから、母に連絡して電話で叩き起こしてもらい、同意書を書くために病院に来てもらいました。

いきなりの話で、旦那もびっくりしてはいたけど、最善を選んだ方がいいよねと、理解してくれました。

 

オペまでの時間が本当に待ち遠しかった。

やっと赤ちゃんに会える喜びと、早く出してあげないとしんどいのではないかという心配と、オペまでの間また心拍低下してしまったらどうしようかという恐怖と、いろんな感情が入り混じって、一言で言うとカオスでした。

オペ室の入室は、13時半予定。12時ごろに一回また心拍低下があって、ヒヤヒヤしました。できることが赤ちゃんになるべく酸素を送るための深呼吸しかなくて、本当にはやくオペの時間になって欲しくてたまらなかったです。

リザーバーマスクは、心拍が一旦落ち着いた時に外していて、酸素はフリーの状態になりました。

 

そして、ここでまさかのパターンだったのですが、基本的に入院すると立ち会い出産も、面会も現在コロナのせいで制限されていて、差し入れすらも外来での受け渡しで、退院まで家族とは会えない状態が徹底されているのですが、帝王切開だと、オペ室の前で終わるまで待っていていいそうで、しかもすれ違う時に赤ちゃんと旦那が会うこともできるそうで、思わぬラッキーがありました。

オペ室へ移送される時に久しぶりに旦那の顔を見て、ほっとしました。付き合い始めてから、1週間会わないなんてことがなかったから、なんかすごく懐かしく感じました。

 

オペ室に入ると、ストレッチャーからオペ台に移乗してから、オペ着を脱がされ、これからルンバールするための体位の説明をされました。

右側臥位でお尻を突き出すようにして、背中を丸めるポーズをするよう指示されましたが、これがお腹が出てるせいで、めちゃくちゃ苦しくて困りました。

背中丸めると、お腹が圧迫されてしんどくて、一応オペ看が身体につかまってと、指示してくれてつかまるものの、もっと背中丸めてーと言われる始末。

 

表面麻酔してからのルンバールからは、すぐに尿道バルーン入れられて、水を身体に当ててどこまで麻酔が効いてるかチェックされました。でも水当たられも全然わかりませんでした。麻酔科医に「水当てていきますねー、わかりますか?」って言われても、当てられたのかがわからなすぎて返事を忘れるレベルでわからなかったです。

ルンバールして麻酔が効いてからは、温かい感じが両足に広がって、痺れてるような、なんだか足が膨張してゴムになったかのような感覚になりました。

もう触られてるのも曖昧で、何されてるかも見えないので、どうなってるのかわからなくなりました。

頭元に麻酔科医がいるので、逐一何しますよーと声をかけてくれたのが、安心できました。

赤ちゃんのことが気がかりで、どうなってるのか心配でしたが、「もう頭が見えてきたよ」と言われて、心臓がドキドキして、赤ちゃんが生まれる喜びなのか、赤ちゃんが無事でいてくれているかという不安なのか、涙が出てきて止まりませんでした。

「出てくるよーきたー」と言われてすぐに赤ちゃんのオギャーという声が聞こえて、ほっとした。さらに涙が出てきて、もう止まらなくて、へその緒を切って、泣いている赤ちゃんを見せてもらいました。

いっぱい声を出して、一生懸命に小さな肺を膨らませて、生まれたてでも、呼吸機能を最大限フル活用して息をしてるのを見て、ものすごく安心しました。

心拍が低下した時、もし出てきても息が止まってしまっていたらと考えてしまって、経膣分娩より赤ちゃんに負担はないといえど、それだけ本当に怖かったので、産声を聞いた時は、本当に安心しました。見た感じでは、アップガースコアも問題なさそうな感じで、手足をバタバタさせて可愛かったです。

 

赤ちゃんが取り出されてからは、切開した部分を縫合して、オペ室を出たのが入室から45分くらいしてからでした。

オペ室の外では、旦那が待っていてくれて、赤ちゃん見れたよーと嬉しそうな様子で、お疲れ様と労ってくれました。

無事に赤ちゃんが生まれることができたこと、赤ちゃんを旦那に見せることができたこと、そのことがとても嬉しくて、今回お産でイレギュラーなことが多かったけど、嬉しいこともあって、結果オーライだったなと思いました。

 

部屋に戻ってからも麻酔がまだ効いているので、動けないため、ストレッチャーからベッドの移乗は、スタッフ3人がかりでしてくれました。

オペ後って個室管理のイメージだったんですけど、大部屋でもいいとのことだったので、もともといた部屋にそのまま帰室しました。

 

ベッドに寝転んで一息ついたら、赤ちゃんを連れてきてくれて、添い寝させてもらいました。

自分の横に小さい小さい身体をもぞもぞ動かしている赤ちゃんが、可愛すぎて、本当に愛おしくて、ずっとこの子がお腹にいたのか、わたしがこの子を産んだのかーと、感慨深い気持ちになりました。

あとオペ後身体が冷えるんですが、自分の冷たさにドン引きしつつ、隣の赤ちゃんが暖かくてポカポカしてたので、心地良かったです。

手は動くので、ツンツンしたり、頭の匂いをかいだり、自分の指を握ってもらったり、思う存分に赤ちゃんを堪能してました。

もう本当に可愛くて、この小さい生き物をわたしが全力で守りたいっていう庇護欲がドバドバと溢れ出て、身体はめちゃくちゃオペ後で麻酔もちょっと切れかかってきて、創部の痛みもでてきて、倦怠感がすごいんですけど、気持ちはハイになってました。

 

しばらくして麻酔が切れてくると創部の痛みと後陣痛が出てきて、とんでもなく身体がだるかったです。

子宮復古の確認のために胸の下まであった子宮がすでにへそ辺りまで収縮してるのを確認するのに腹部を容赦なく押されてました。恐るべし子宮底の戻る力......押される痛みは、そこまでなかったのが救いでした。

最初に左足の先が若干動くようになって、そこからどんどん麻酔が切れていくのに比例して、創部の痛みがどんどん強くなっていくのがわかりました。

そもそも怪我も病気もあんまりしないんですが、ほんとに今まで経験したことのない痛みで、なんで言い表したらいいのか...ほんとに鈍痛がずっと続いて、ちょっとでも身体を動かそうものなら鋭い痛みが出現する感じが辛かったです。

ちなみに麻酔は、まだ若干効いているので、身体を横にも向けられず、なんとかズリズリと自分の体を寄せるぐらいしかできませんでした。足を動かせないので、腕で柵を持って動こうとしても動けないんですよね。

しかも足には、静脈瘤の予防のために弾性ストッキングを履いた上からフットポンプを装着させられてて、これがまた動きにくさを増長させてました。

 

そんな状態のまま、絶飲食で夜に突入。

一応定期で痛み止めのアセリオを投与してくれてたけど全然効かない。

たぶん痛みが強すぎて、効いてるんだけど、効いてるとわからないレベルで痛くて、夕方我慢できずに頓用のソセゴンを希望して、投与してもらいました。

ソセゴンも正直痛みが和らぐかと言われれば、なんかほんと痛くて、正直効いてるのか効いてないのか、わからない状態でした。

どちらかというと鎮痛というより、ふわふわした感じがあって、鎮静の方に効果があって、入眠はできたかなという感じで、抗生剤とアセリオとソセゴンを交互に投与してもらってました。

薬が切れると、もう早く次の痛み止めくれーという意識になり、薬に固執する患者の気持ちが1ミリだけわかった今日この頃でした。

 

痛みも辛いんですけど、寝転んでると今度は背中が痛くなってきて、自分で意を決して体位交換するんですけど、これがまためちゃくちゃ辛い。

横向く前に少し動いた段階で痛くて、横向くためにまず身体を左右どちらかに寄せなければいけないわけですけど、それもめちゃくちゃ気合入れて、動くぞやるぞせーのって感じに動いてました。

そこから身体自体を横に向けるのも柵を持って、自分の力だけで動くのは怖すぎるので、自分の下にあるオペ着を引っ張って横向いたりしてました。

横向くだけでたぶん10分くらいかけてた。ほんと痛くて、動くと傷口が滲みる感じと、なんか熱いような感じと、常にズンズンするような痛みが同時にきて、人生初体験の痛みでした。

というか全麻じゃないからって、体位交換こんなにもしてくれないものなの?こんなにも放置されるものなの?と、ちょっと衝撃でした。

たしかに2.3時間おきに巡視と点滴更新もあったから、ちょこちょこ訪室はしてくれてたけど、患者の全身状態の観察という意味では、クソレベルの看護だなと思ってしまいました。

 

次回から、出産レポートではなく、産後レポートへ移行します。

ちなみに帝王切開だったので、まだここから入院生活が1週間続くという、ほんと1人で一体いつまで入院してるの状態でした。

出産のはなし③ 前駆陣痛で眠れない夜

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〜入院3日目〜

かれこれ入院してから、夜ぐっすりと眠れた記憶がない。というか眠れない。

他の経産婦の人たちも、当たり前だけど赤ちゃんの授乳やらオムツ交換があるから夜中起きてるんですけど、それに伴ってわたしも起きるし、生後数日なのに隣の赤ちゃんは、力強い夜泣きが出現してるし、そして前駆陣痛は痛いしで、全然寝れない。ダブルパンチどころかトリプルパンチで寝れませんでした。

 

ちなみに入院2日目に向かい側の人が、入院3日目に隣の人が退院して行き、わたしが夜前駆陣痛でうんうんしてるときにスパーンと産んで入院してきた人がまた向かい側に入院してきました。のちにその人もわたしより先に退院して行きました。

 

わたしだけ経産婦じゃないこの疎外感ハンパないなと思いながら、赤ちゃんを観察していたら、生まれたての初日とかって全然泣かないんですね。

赤ちゃん=泣くのイメージだったのが、生まれた日とかは、たぶんこの世に生をうけてから心身共に疲れ果ててるのか、めちゃめちゃぐっすり寝てて、え?いるよね?ってぐらい静かで、びっくりしました。

赤ちゃんによるかもしれませんが、わたしは結局この大部屋で約2週間入院することになったのですが、2日目以降の夜から割と泣き声が続いたり、2日目以降もふえぇ〜って一瞬泣くけど、自力で泣き止むみたいなことがザラにあって、あんまり泣かないもんなんだなあと思いました。

 

もちろん個人差があるので、入院1日目から3日目に隣にいた赤ちゃんなんかは、赤ちゃんの中でも格段に元気で、昼も夜もずーーーーっと泣いてました。

しかも泣いてる間、お母さんも爆睡してることが多くて、構ってもらえないので、更に拍車をかけて泣いてて、新生児の泣き声ってもっとふにゃふにゃして、あんまり破壊力とかないイメージだったけど、割としっかり爆音で泣く子もいるんだなと思いました。

 

そんなこんなで、3日目は、特にすることもなく、週明けの促進剤への恐怖に怯えながら、はやく陣痛来ないかなーという思いを込めて、スクワットしたり、母乳マッサージしたりと家でいるときと変わらない生活をしてました。

そしてやっぱり胎動が激しい。今まで、ドスッ!!だったのが、ドッスーーーー!!って感じに強くなってて、嬉しいのか悲しいのか。膀胱もこれまで以上に圧迫されて、頻尿というより、もはや徘徊に近い感じでトイレに行ってました。喉も乾くから、水分取って、尿になって出ていく、を繰り返して1日が終わりました。

 

〜入院4日目〜

そして深夜0時に突然始まった前駆陣痛。

マジで痛くて四つん這いで、深呼吸して痛みを逃してました。このとき初めて、足の裏を合わせてあぐらかいて座ると、痛みが来た時にボールを尾てい骨に当てやすいし、めちゃくちゃ体勢が楽だということを発見してしまい、ほんとさっさとこうしとけば良かったと思いました。

なにはともあれ、また深夜の前駆陣痛が始まりました。

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結構間隔はバラバラだけど、痛みは強いし、何よりなんだか胎動が下の方になってきて、お股の間でなんかモゾモゾきてる感じがして、これはいよいよ下がってきたのでは!?と思い、テンション上がりました。

あと、右足の方の付け根の部分が陣痛とともにめちゃくちゃ痛くて、寝転んで伸ばしてるとパニックになりそうなくらい痛かったので、右足だけ膝を曲げて対応してました。この足の付け根の痛みも、いよいよなのでは!?と思える痛みだったので、痛かったけどすごく期待したのを覚えてます。

 

 

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1時間、2時間と経ち、いい感じに間隔がせまくなってきていて、これが5分間隔とかになれば!!!あと!!もうすぐ!!!って、すごいアドレナリンが出て、もう産む気満々。旦那にも、いい感じだから早ければ昼頃に生まれてるかもしれない!!!とハイテンションなメッセージを送ったりしてました。

 

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もうこのへんからは、笑顔も消えて、まあそもそも暗闇の中でひとり笑ってたらおかしいんだけど、痛みが来るたびにテニスボールをあぐらかいてる自分のお尻の下敷きにして、痛みを逃してました。

あともうちょっと、あともうちょっと、間隔よせまくなれ、あと痛みももっと強くなれ、と陣痛がきて欲しい気持ちと早く生みたい気持ちで、もっとこい!もっと強く殴れ!!みたいな変なテンションになってました。

 

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4時台に突入した頃、なんとなく思ってたけど、陣痛が遠のいてきたのがわかりました。そして夜明けが来て少しずつ明るくなる外の様子。

どんどん遠のいて、せっかく5〜6分ぐらいになっていた間隔は、一気にドドドンと間隔があいていく状態になってしまいました。

なんか、ここまで遠のくと、たぶん今日は無理だなっていうのが体感でわかって、これ以上もうがんばらなくていーやと思って、陣痛が遠のいたのをチャンスに入眠しました。

 

ネットで調べてると、陣痛中に寝ると、お産が進むって書いてあったり、陣痛は遠のかないって書いてあったんですけど、人によるのかなと思いました。

母親もわたしを産むときに微弱陣痛で苦しんだんですけど、寝るとやっぱり陣痛が遠のいての繰り返しだったみたいで、それで体力をだいぶ奪われたと言ってました。

 

促進剤を再トライしたくないので、どうしても週末に産みたかったけど、そんな思い通りにはならず、明日からまたご飯を取り上げられて、今度こそトドメの促進剤を投与されるのかと思うとテンションが下がってしかたなかったです。

持ってきたおやつを根こそぎ食べてやろうとむしゃむしゃしたり、寝れるときに寝といてやろうとNST以外の時間は、グースカ寝て体力を温存することに意識を向けてました。

 

そして寝る前、また思うのです。

あーあ、どうせ夜はまた前駆陣痛で寝れないんだろうなあーと。なんで陣痛は夜に来るんだろう、副交感神経が働くから?自律神経の関係?夜の方がリラックスするから?考えてみてもわかりませんが、連日の睡眠不足は、わりと精神的に辛いものがありました。

病むほどじゃないけど、ほんとに本陣痛が来る気がしなくて、そしてこのままの睡眠不足で体力が低下している状態で、果たして出産を乗り越えられるのかという気持ちで

 

出産のはなし② バルーンからの促進剤投与

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〜入院2日目〜

夜の戦いも虚しく、本陣痛には繋がらず朝が来ました。

ちなみに何故か朝ごはんが配られなかったので、忘れられてる?と思って聞きに行ったら、促進剤入れてトラブルが起きたら帝王切開になる可能性があるから、今日は絶食でってサラッと言われました。

それ、入院時の説明の時にいうやつやん...そういうのちゃんと説明して...と絶望。唯一の楽しみだったご飯がないので、もうエネルギーが切れて廃人化しました。

促進剤を入れる前にルートキープのため、点滴刺されたんですけど、帝王切開の可能性があるので20Gで刺されて、しかもわたし血管割とある方なのにたぶん妊娠後期の浮腫のせいで血管がなかったせいで、めちゃくちゃ失敗されて、入ったと思っても漏れてたり、詰まったりで、結局6回ほど両腕に刺されて痛かった。

しかも内1回は、手背に入れられたんですけど、トイレ行ったらまさかの抜けた......わたしも悪かったけど、そとそも固定の仕方も甘かった。もっとちゃんと固定して下さいと思いました。 

 

バルーンを抜去された後に内診されると、この内診がまた超絶痛くて悶絶。

思わず腰が引ける痛さで、先生に「大丈夫ですよー赤ちゃんより大きなものは入れませんからねー」って言われたんですが、いや赤ちゃんの大きさですら恐怖すぎるから、その言葉は全然安心感ないよ!!と思いました。そしてたぶん卵膜剥離されてたんじゃないだろうかと思う。とてつもなく痛かった。ほんとバルーン取った後が痛いってどういうことなのと思いました。

内診の時の恐怖心ってなんなんでしょうね、ほんとカーテンあるから何されるかわからない怖さと、痛いんだろうなっていう不安からきてるのかな、とにかく内診は大事だけど、何回やっても慣れませんでした。

 

そして、ベッドに戻って促進剤投与開始。

投与中は、ずっとNSTしてました。お腹にずっとNSTのモニターが付いてるんですけど、このモニターもっと良くならないもんかと考えてました。

だってベルトで縛って分厚い機械を腹の上で固定してて、なんかもっと心電図モニターみたいにテープでできないの?と思いました。本当に動きにくいし、動くたびにずれたような感じがするし、トイレも行きにくいし、座るとモニター取れなくなるから臥位になってと言われるし、令和になったんだからモニターも進化してくれよと思いました。

 

促進剤の内容は、5%ブドウ糖500ml +アトニン5単位1Aを輸液ポンプで、流量12ml/hにセットして投与開始されました。

30分ごとに12ml/hずつ増量していくそうで、午前中は特に痛みもなく、ベッドの上で暇だなーと思いながら過ごしたり、ウトウト寝てたりしました。

ちなみに促進剤を入れ始めた後、絶食の指示から絶飲食の指示に突然のグレードアップ。たしかにオペの可能性あるんだから仕方ないよなと思いつつ、ほんと最初からそういうのは説明して欲しかったと思いました。

 

お腹すいて、喉もカラカラ、やることはなく、ベッドに横たわっていましたが、午後から変化が現れました。

流量72ml/hへ増量した頃、だんだん痛みが出てきて、中からググググと押される痛みというのか、生理痛を更に酷く重くした感じの痛みが出てきました。あとトイレでおしるしもありました。

この時暇で、ネットの促進剤の体験談や出産レポを読みあさってたのですが、まさしく便意のような、なんともいえない痛みで、これが陣痛かーと思う余裕はまだありました。

 

15時前に流量120ml/hのマックス上限に達したのですが、その頃には4〜5分間隔で陣痛がきてました。

痛くない時はほんとなんともないのに、痛みのピーク時は、深呼吸するものの、全然痛かったので、自分でテニスボールをおしりに当てて全体重を肛門や尾骶骨に押し当てることに全力を尽くしてました。

 

16時頃に先生子宮口4センチでした。残念ながら、このまま陣痛には繋がらないだろうということで、促進剤は終了し、絶飲食解除。

週末に突入するので、週明け促進剤の再チャレンジに挑みましょうということでした。

 

正直、もう促進剤使うのは嫌だったので、この週末の間になにがなんでも産みたいという気持ちでいっぱいでした。

先生も「もしかしたら週末、自然にお産につながる陣痛が来るかもしれないから、その時は頑張って生みましょう」って言ってくれたし、週末に本陣痛が来て、きっと赤ちゃんが生まれてくるんだ〜と楽観してました。

 

その日の夜、晩ご飯を食べて、さあ寝ようかなと思って、寝ますよね。

寝ました、そしたら昼間と同じような痛みが出現し、深夜3時からサタデーナイトフィーバーしてました。痛いくせに間隔は不規則で、しかも5分切らないので、なんとも煮えきらない前駆陣痛で、結局この日も明け方まで寝れず。もしかしたら本陣痛に繋がるかも!ワクワク!という思いも虚しく、入院3日目の朝に痛みは消失したのでした。